災難続き

このところ病院巡りばかりしているゲンキだが、今日は口腔外科の日だった。
予約時間は9時半。


ラッシュの時間ロスを考えて、8時前に家を出発したので、9時過ぎには病院に着いた。
ちょっとぐずり気味だったので、授乳してよいかどうかを窓口で尋ねる。
どうぞ行ってきて下さい、とのことだったので、小児科の授乳室へ。
授乳を始めて、すぐに父Jからメール。
まだ予約時間前だが、順番が来たという。
しかし、一度始めた授乳はすぐ中断するわけにいかない。
たぶん哺乳瓶でも同じだと思うけど、赤ちゃんの口から乳首を無理矢理ひきはがすと、
この世の終わりのような泣き方をする。
納得するまでくわえさせるしかない。
心配した父Jが授乳室まで迎えにきてくれて、その気配でゲンキが口を離したので、
その隙にぱぱっと移動。
素早く診察室へ。


歯医者さんの椅子と同じ診察台に、ゲンキを抱えて座る。
「はい、じゃ口開けて下さいね〜ちょっと頭押さえますよ」
衛生士のお姉さんが頭を押さえて、母Yはゲンキの手をしっかり持つ。
既に激泣きのゲンキ。
「はい、いいですよ」
先生は、口の中をさっと見ると、速攻でパソコンでカルテをつける。
しばらくノーコメント。嫌な予感。
「舌のね、奥の潰瘍は治ってます。でも真ん中の潰瘍に肉芽(にくげ)が出来てるんですよね」
たまに授乳しながら出血するのは、この肉芽のせいらしい。
「もう少し削りますか」
ちょっとため息まじりに言う先生。
やっぱり削らないとダメですか。
「削ってみないとわかりませんが、少なくともおっぱい飲んでいる間は治らないです」
要するに、哺乳しながら下の歯が舌にこすれるから潰瘍が出来たわけで、
その動作がなくならない限り、飛躍的な回復は望めないということだ。
「さっき、どのくらい授乳しました?」
3分くらいですかねえ。
「空腹じゃないと治療できませんから、今日は無理ですね。また来週来て下さい」
治療中に吐いて、気管に詰まったりしたら大変なので、授乳後は治療できないのだ。
「なるべく離乳食を進めて、授乳の回数減らして下さいね」
それができれば、苦労はしないんです、先生。


前回、歯を削ってから、ずいぶん傷がよくなったようで、離乳食の量も大分増えたと思う。
たまに美味しそうに笑顔が出る時もある。
でも、やっぱり傷に触るようで、少しでも粒を大きくすると食べなくなる。
生後8ヶ月といえば、すでにモグモグ期に入っている頃だが、ゲンキは未だに裏ごしが必要だ。
それでも2回食になったのだから、ゲンキも頑張っていると思う。
これ以上、あまり無理はさせたくない。
パイも無理に減らすのはかわいそうだ。
しかし、傷は治さねばならない。
どうするのがいいのか。
今日一日考えたが、とりあえず1回の授乳時間を減らすことから始めてみようと思う。
この1週間で、できるだけ舌への負担を減らして、少しでも傷の回復が見込めれば、
歯を削らなくて済む。
なるべくなら、ゲンキにダメージが少ない道を選択したい。


そして、今日で便秘4日目。
車中で気張る様子を見せていたゲンキだが、帰宅したらまたひと口だけお尻についていた。
やっぱり自力では無理なのか。
昨日のブレイクタイムで、かかりつけのY先生に相談したら、3日を超えたら浣腸したほうがよい、
とのアドバイスを受けた。
4日目ならば、もうリミットだ。
子供用の浣腸が手に入っていないので、地元の小児科で出してもらった坐薬を使う。
坐薬を入れる段階で、既に大泣き。
父Yに抱っこしてもらったら、すぐに泣き止んだ。
その間に離乳食準備。
今日は病院で頑張ったし、ご褒美にゲンキの好きなメニューにしよう。
といっても、昨日と同じバナナヨーグルトとほうれん草&玉ねぎなのだけど。
バナナに混ぜればヨーグルトは無問題。
今日もペロリと食べた。
朝早くから外出したから、今日は1回食でゴメンよ。


前述の理由もあり、食後の授乳は省略しようと思ったが、ゲンキが泣き止まないので、仕方なく授乳。
始めて間もなく、また激泣き。
坐薬が効いてきたらしい。
パイから口を離して、食いしばって泣いている。
両手両足をつっぱって、とてもつらそうだ。
頭をなでて励ます。
髪までぐっしょり汗をかきながら、何度か排出。
5分ほどで涙が止まってきたので、ベッドに寝かせておむつ交換をした。
しっかり出たかと思ったら、交換中にまた泣きながら排出。
下痢の腹痛に近いような痛みに見える。
今度こそすっかり出切ったようで、ぴたりと泣き止むゲンキ。
お尻をきれいにして、着替えさせたら、すっかりご機嫌に。
よく笑い、よく動く。
便秘で今ひとつ調子が出ていなかったらしい。
結果としてはよかったのだろうけど、3日間の便秘でも10日間の便秘でも、
坐薬を使った時のつらさや痛みは同じなのではないだろうか。
ならば、なるべく坐薬を使う頻度は少なくしてあげたほうがよいのではないのか。


自分のことなら、自分で考えて結論を出したことに異存はない。
しかし、今のゲンキには自分で判断する能力はないし、私の判断に対する意見も聞けない。
何をどうするのがゲンキにとって一番よいのか。
その判断は、親である自分に委ねられていて、しかもそれが正しい判断なのか聞く術はない。
それが間違った判断だったとしても、そこから学んでいくしかないのだ。
母親業は、勉強の毎日だ。
今日は自問自答ばかりの母Yであった。